万騎ノ原


国道47号線から尾花沢市へ向かう県道28号線の、最上ふれあい学園前の桜並木です。
赤倉温泉にほど近く、スキー場と桜のコラボレーションが楽しめます。

※万騎の原(まぎのはら)


富山馬頭観音 東善院


満開時には桜のトンネルとなり、参拝者を春の陽気とともに温かく迎えます。



最上西公園


小高い場所にあり、遠くには神室連峰が望めるビュースポットです。




瀬見温泉


義経のロマン薫る伝説の湯「瀬見温泉」の桜並木。
JR瀬見温泉駅より温泉街へ向かい、清流最上小国川沿いに咲いています。



前森高原の桜





富山馬頭観音




位於富澤的富澤馬頭觀世音菩薩是東北三大觀世音菩薩之一,也是最上三十三觀世音神社中第三十一間參拜所。作為保佑馬匹成長的觀世音菩薩而聞名,至今位於南部地方著名的養馬業者也時常前來參拜。
在神社的正殿旁邊有九一八事變(西元1931)以及太平洋戰爭時,本地出產的軍用馬遠赴戰場犧牲的紀念碑,藉由此方式安慰當初視馬親如自己的子女一般養育的居民。
最上町過去稱作小国鄉,又以產馬聞名,因此以『小国駒』來稱呼由小國鄉產出的名馬,主要銷往山形縣、秋田縣,越後地方(現新瀉縣)。當時的出羽國(現今秋田縣以及山形縣)的名產和新庄領地的名產也都稱作『小国駒』。
以前,在這個地方並不只是飼養馬,而是培育馬。人們會在每年春季及秋季會舉辦兩次盛會,會中邀請養馬的專家,幫馬做健康檢查,同時各個產馬的民家也會分享飼養馬的秘訣,通常夫婦會一同出席。如此盛大的大會也會有搗餅、傳統舞蹈等活動。
每年的新年時,富澤觀音(富山馬頭觀世音)會邀請兼職於東善院的住持前來為馬廄祈福,並在門口貼上符咒祈求馬可以順利成長。萬一馬不幸生病時,則會再次去東善院祈求護身符,將其放在給馬喝水的水槽上的習俗。
自古以來的民情風俗背景下,富澤觀音(富山馬頭觀世音)逢年過節的祭典活動都會格外的盛大繁華。參道兩側旁林立許多小販,一整天祭典活動中,都可以看到來自偏遠地方盛裝打扮的參拜民眾以及住在神社附近居民熱鬧喧嘩的風情。
根據東善院由來的相關書籍表示,富澤觀音(富山馬頭觀世音菩薩)的本尊是由慈覺大師雕刻的馬頭觀世音菩薩。馬頭觀世音菩薩就如同馬一般地快速奔波宣揚佛教的菩薩,這也是作為當地農家飼養馬的守護神受到大家供奉的主要緣由吧。

譯者 最上町地域おこし協力隊 張 申豪


亀割子安観音


北の方が源義経の子「亀若丸」をお産した際に、加護のあった観音様と伝えられています。
子授かりと安産の神様として信仰されています。
※亀割子安観音(かめわりこやすかんのん)
石碑には「義経北の方御産の跡、文治3年旧4月8日」と刻まれてあります。
近くに亀若丸が枕にしたという子枕石、弁慶が手植えした弁慶杉があり、今も神秘的な面影を残しています。


湯前神社


文治3年に弁慶によって発見された瀬見温泉の守り神で、亀若丸の産湯として使われたといわれています。
毎年、9月1日には義経を偲び中尊寺、毛越寺の僧侶による供養祭が行われます。


太郎田観音


若宮には、太郎田観音(たろうだかんのん)があり、最上三十三観音の32番札所となっています。
ご本尊は「十一面観世音菩薩」になります。

この観音を管理する滋雲山明学院は、明治初期までは葉山派の修験で、その後に天台宗の寺院となりました。
伝説によると小国の地は、天平年間(729~49)頃に開かれたが、この観音はその開発に携わった伊豆三郎という人の信心仏(11面観音)をまつったことに始まるといいます。
正観音を浮き出させた径20センチほどの鋳造の円形懸仏は、一説では、600年以上前の作と言われます。翁頭部像は高さ7センチの小さな木彫りで、明学院管理の諏訪神社のご神体。
とぐろを巻く蛇の胴体に、あご髭の翁の頭部が乗る珍しい彫り物です。



おくのほそ道


元禄文化期に活躍した俳人松尾芭蕉による紀行文で、元禄15年(1702年)の刊行。
芭蕉の著作中で最も著名で「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という序文より始まる。
「奥の細道」とも表記されるが、中学校国語の教科書では全て「おくのほそ道」の表記法になっている。
芭蕉が、ほとんどの旅程で弟子の曾良を伴い、元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)に江戸深川の採荼庵(さいとあん)を出発し、全行程約600里(2,400キロメートル)、日数約150日間で東北・北陸を巡って元禄4年(1691年)に江戸に帰った。
「おくのほそ道」では、このうち武蔵から、下野、岩代、陸前、陸中、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前を通過して旧暦9月6日美濃大垣を出発するまでが書かれている。