封人の家
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旧有路家住宅《封人の家》(ほうじんのいえ)は、昭和44年12月18日、山形県東部に古くから見られた茅葺き寄棟造り、広間型民家の好例として、重要文化財に指定された最上町所有の建造物です。
桁行24.755メートル、梁間9.999メートル、平面積269.180平方メートル(約81坪)の大型民家。年代は特定できませんが、江戸初期を下らない時代の創建と見られています。
昭和46年~48年に解体復元工事が実施されて、創建当時の様式で保存、一般公開されています。 この建造物は、江戸期には新庄藩上小国郷堺田村の庄屋住宅で、内部は床の間、いりざしきなどの5部屋と内庭、内まや(厩)からなっています。
住宅構造には、江戸期に庄屋役と問屋役を兼ね、街道筋の旅宿ともなり、熱心な馬産家でもあった有路家の歴史的性格が強く反映されています。
この住宅は、松尾芭蕉が「おくのほそ道」に記した、堺田のいわゆる“封人の家”と見なされています。元禄2年(1689)5月芭蕉は2泊3日にわたって“封人の家”に逗留し、その時の印象を「蚤虱馬の尿する枕もと」の句で表現しました。
【期間】:4月〜11月(12月~3月は冬季休業)
【時間】:8:30~17:00(11月は8:30~16:00)
※入館は16:30まで(11月は15:30まで)
【料金】:個人 高校生以上 250円
小・中学生 120円
団体 高校生以上 180円
小・中学生 80円
※団体は20人以上
お問い合わせ
TEL 0233-45-2397
(12月以降については最上町教育委員会までお問い合わせください。0233-43-2111)
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舊有路家住宅《封人之家》位於山形縣東部,屋頂由茅草舖製成的建築物,於西元1969年12月18日作為認定為最上町所有的有形文化遺產。
橫木長:24.755公尺,樑柱9.999公尺,面積為269.180平方公尺(約81坪)的大型民家,雖然無法確定建築年份,但推測屋齡至少是江戶初期以前所建造的。
於1971~1973年進行了拆解修復的工程,保留了建造初期的樣貌,開放大家參觀。
這棟建築物格局有五個和式的隔間、庭園以及馬廄。在江戶時代不僅兼具堺田村的辦事處以及物流交易的場所,同時也是通往宮城縣重要交通樞紐途中的旅宿。充分的反映出飼育馬人家的有路家住宅歷史。
西元1689年5月俳句詩人-松尾芭蕉曾路過此處借宿停留2夜3天,吟唱了一首「蚤虱馬の尿する枕もと」來表達當時對下塌處的印象與心境。松尾芭蕉的「奧之細道」中以:「站崗於堺田邊境的住宅-封人之家」稱舊有路家住宅。
譯者 最上町地域おこし協力隊 張 申豪
山刀伐峠
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元禄2年(1689)5月17日、陽暦にすると7月3日。
松尾芭蕉と河合曾良は最上町の旧有路家住宅《封人の家》に逗留した後、「おくのほそ道」でも“最大の難所”と言われている山刀伐峠を越えて、尾花沢市へ向かいました。
この道は松尾芭蕉の旅を偲ぶ貴重な史跡となっています。
現在、山刀伐峠の山頂へは舗装道路(旧道)が整備されています。
ですが、その道とは別に芭蕉が辿った「歴史の道」(“二十七曲り”と言われるほどの曲がりくねった山道)は、散策道として整備されたブナの木が生い茂る手つかずの自然が残っています。
山頂付近には駐車場、トイレ、簡単な休憩所があります。
頂上近くの子宝地蔵尊、子持ち杉、山刀伐峠顕彰碑付近には東屋もあり、自然の中で芭蕉の時代に思いを馳せながら、ゆっくりとした時間を過ごすこともできます。
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元祿2年(西元1689年)5月17日,陽曆為7月3日。
松尾芭蕉與河合曾良在最上町的舊有路家住宅「封人之家」夜宿後,動身翻越山刀伐峠前往尾花沢市的這條可說是“奧之細道”中最險峻的山路小徑。
而這條山路小徑現今成為紀念俳句詩人松尾芭蕉旅途的珍貴史蹟。
譯者 最上町地域おこし協力隊 張 申豪
分水嶺
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陸羽東線の堺田駅前には、太平洋と日本海へ分かれる「分水嶺」があります。
東側(宮城県)は江合川、旧北上川を経て116Kmを下り、宮城県石巻市の太平洋へ。
西は小国川、最上川を経て102Kmを下ると山形県酒田市の日本海へ注ぎます。
平坦な場所にある分水嶺は全国的に珍しく、東西の海へと分かれる分岐点を目の前に見ることができます。
※冬季閉鎖(11月~3月まで)
トイレは利用できません。
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位於陸羽東線的堺田車站旁有一處分水嶺,河川分別流入太平洋日本海。
東側(宮崎縣)沿著江河川、舊北上川後116公里到達宮城縣石卷市的出海口流入太平洋。
西側則是沿著小國川、最上川後102公里從山形縣酒田市流入到日本海。
地勢平坦的分水嶺在全日本當中是非常稀少,來這裡可以看到河川分流東側、西側的分歧點。
譯者 最上町地域おこし協力隊 張 申豪