世照観音


向町にある世照観音(天徳寺)は、最上三十三観音の番外札所となっています。
ご本尊は「聖(子安)観世音菩薩」になります。

ここはいつの頃からか世照観音と称されており、元文年間以前までは最上札所番外観音として、向町の月蔵院という天台宗の寺に安置され、多くの巡礼者の参拝をえておりました。天保年間に月蔵院は不幸にして寺族死に絶えて後継者もなく、廃寺となってしまったため、日頃観音信仰の厚い町民が法燈の絶える事を恐れて、主として天徳寺の檀徒及び一般の信者の方々が相謀り、天徳寺に御遷座して安置することとなりました。

本尊仏「子安観音菩薩」は、その丈7寸で台座に坐し、約40センチの厨子に安置されていたようです。残念なことに、昭和17年の大火で安置堂の衆寮とともに焼失してしまい、代わりに高さ約50センチの子安観音立像が作像され、観音堂を兼ねた位牌堂に安置されてきました。

天徳寺では12年に一度行われる子年のご開帳に合わせ、本尊を新たに作像しました。高さ約30センチ、両手で赤子を優しく抱いた子安観音像です。淡い青や緑に彩色した衣、金色に輝く光背など、寺に残る文献や資料により焼失した本尊を忠実に再現しております。

観音様は三十三身に姿を変え、人々を救済するといわれております。慈愛に満ちたまなざしで赤子を見つめる子安観音坐像。その姿は温かく、参拝者の心を安げてくれます。



富山馬頭観音




位於富澤的富澤馬頭觀世音菩薩是東北三大觀世音菩薩之一,也是最上三十三觀世音神社中第三十一間參拜所。作為保佑馬匹成長的觀世音菩薩而聞名,至今位於南部地方著名的養馬業者也時常前來參拜。
在神社的正殿旁邊有九一八事變(西元1931)以及太平洋戰爭時,本地出產的軍用馬遠赴戰場犧牲的紀念碑,藉由此方式安慰當初視馬親如自己的子女一般養育的居民。
最上町過去稱作小国鄉,又以產馬聞名,因此以『小国駒』來稱呼由小國鄉產出的名馬,主要銷往山形縣、秋田縣,越後地方(現新瀉縣)。當時的出羽國(現今秋田縣以及山形縣)的名產和新庄領地的名產也都稱作『小国駒』。
以前,在這個地方並不只是飼養馬,而是培育馬。人們會在每年春季及秋季會舉辦兩次盛會,會中邀請養馬的專家,幫馬做健康檢查,同時各個產馬的民家也會分享飼養馬的秘訣,通常夫婦會一同出席。如此盛大的大會也會有搗餅、傳統舞蹈等活動。
每年的新年時,富澤觀音(富山馬頭觀世音)會邀請兼職於東善院的住持前來為馬廄祈福,並在門口貼上符咒祈求馬可以順利成長。萬一馬不幸生病時,則會再次去東善院祈求護身符,將其放在給馬喝水的水槽上的習俗。
自古以來的民情風俗背景下,富澤觀音(富山馬頭觀世音)逢年過節的祭典活動都會格外的盛大繁華。參道兩側旁林立許多小販,一整天祭典活動中,都可以看到來自偏遠地方盛裝打扮的參拜民眾以及住在神社附近居民熱鬧喧嘩的風情。
根據東善院由來的相關書籍表示,富澤觀音(富山馬頭觀世音菩薩)的本尊是由慈覺大師雕刻的馬頭觀世音菩薩。馬頭觀世音菩薩就如同馬一般地快速奔波宣揚佛教的菩薩,這也是作為當地農家飼養馬的守護神受到大家供奉的主要緣由吧。

譯者 最上町地域おこし協力隊 張 申豪


亀割子安観音


北の方が源義経の子「亀若丸」をお産した際に、加護のあった観音様と伝えられています。
子授かりと安産の神様として信仰されています。
※亀割子安観音(かめわりこやすかんのん)
石碑には「義経北の方御産の跡、文治3年旧4月8日」と刻まれてあります。
近くに亀若丸が枕にしたという子枕石、弁慶が手植えした弁慶杉があり、今も神秘的な面影を残しています。


湯前神社


文治3年に弁慶によって発見された瀬見温泉の守り神で、亀若丸の産湯として使われたといわれています。
毎年、9月1日には義経を偲び中尊寺、毛越寺の僧侶による供養祭が行われます。


太郎田観音


若宮には、太郎田観音(たろうだかんのん)があり、最上三十三観音の32番札所となっています。
ご本尊は「十一面観世音菩薩」になります。

この観音を管理する滋雲山明学院は、明治初期までは葉山派の修験で、その後に天台宗の寺院となりました。
伝説によると小国の地は、天平年間(729~49)頃に開かれたが、この観音はその開発に携わった伊豆三郎という人の信心仏(11面観音)をまつったことに始まるといいます。
正観音を浮き出させた径20センチほどの鋳造の円形懸仏は、一説では、600年以上前の作と言われます。翁頭部像は高さ7センチの小さな木彫りで、明学院管理の諏訪神社のご神体。
とぐろを巻く蛇の胴体に、あご髭の翁の頭部が乗る珍しい彫り物です。